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    英単語の作り方:特別編 No.5

    2020.04.20

    英単語の作り方:特別編  No.5「あなたは誰ですか?」

     

     

     

     

     

     

    Who are you?

     

     

     

     

    『ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙』という本があります。英語にも翻訳されていて、大学入試での出題の記憶もあります。その中に何の変哲もない言葉があります。

     

     

     

     

    Who are you?

     

     

     

     

    試験の点数を取って、受験に合格さえすればそれで全てが良かった時代はとっくの昔に終わっています。これから、そのことがもう少し浮き彫りになってくるでしょう。

     

     

     

     

    私たちは知識を知恵に変え、それを実行に移していく能力が今は特に必要になってきています。「英語能力」、「日本語能力」、「世界の歴史と現在」を把握する力、そして数学を応用した「考える力」を鍛えていきましょう。

     

     

     

     

    「ソフィーの世界」英語訳での一節のご紹介です。この本は、哲学の歴史も学べますし、英語も簡単です。挑戦してみましょう。でも400ページくらいはあったような。

     

    ‘Sophie’s world’ by Jostein Gaarder

     

     

     

     

    ソフィーという少女にある日突然、差出人不明の1枚の手紙が送られてきます。そこには次のように書かれています。

     

     

     

     

    Who are you?

     

    She had no idea. She was Sophie Amundsen,
    of course,

     

    but who was that? She had not really
    figured that out ーyet.

     

    What if she had been given a different
    name? Anne

     

    Kuntsen, for instance. Would she then have
    been

     

    someone else?

     

     

     

    私たちは今、2020年4月現在、私たち自身の本質を問われています。私たちは、また私たちの社会は、その名称が表しているはずの本質を持っているのでしょうか?

     

     

    Who are you? 「あなたは誰ですか?」

     

     

    いやしかし、小難しい哲学の話は私は苦手です。やはり軽くいきましょう。

     

     

     

     

    動物園でいつもぐだぐだしているあの「ナマケモノ」という動物が、もし急にてきぱきと働き出したら、その名称は「ハタラキモノ」に変わるだろうか、というようなことをフランス文学者で作家の澁澤龍彦がどこかに書いていたのですが、どの本なのかはさっぱり思い出せない。

     

     

     

     

     

     

    先日、「練り歯磨き」という言葉を耳にした。「歯磨き粉」という言葉に敵対心を燃やした人の発言であろう。「歯磨き粉って言うけど、お前、粉のやつ使ってるのか?」という声が聞こえてきそう。

     

     

     

     

    私も使ったことがありませんが、随分前は、歯を磨くためには粉を使ったらしい。製品は進化し、今では粉のものは、ほぼ絶滅状態であり、というより見たことがない。

     

     

     

     

    今はチューブに入った液体と個体の中間状態(ペースト状)のものになった。それでもなお、人々は「歯磨き粉」の愛称を使っているのである。

     

     

     

    子供の頃、初めてカップラーメンの「焼きそば」に出会った時には目眩がしたのを覚えている。しばらくは頭が混乱したのである。

     

     

     

     

    お湯を入れて3分待つだけ?一応フライパンは用意しておこうか?焼かないのに焼きそばって?どっちなんだ、焼くのか?焼かないのか?

     

     

     

     

    しかしながら、まあまあ美味なその焼きそば味を堪能した後は、細かい悩みは忘れてしまった。今の悩みといえば「UFO」か「ペヤング」か「屋台の一平ちゃん」か、どれを買おうかということになる。

     

     

     

    人の名前ではどうだろうか?

     

    全く学んでくれない「学(まなぶ)」君に「なぜ学ばないのか、君は人を騙しているのかね?」と説教を垂れる嫌な先生がいるかもしれない。

     

     

     

    Agatha Christie ( 語源分析による名前の意味は、「良きキリスト教徒」)が仏教徒になったらどうなるだろうか?

     

     

     

     

    Amanda (名前の意味は「愛されるべき」)ちゃんが恋人に捨てられたら、何か間違っているような気がする。

     

     

     

     

    「歯磨き粉」や、焼かない「焼きそば」や学んでくれない「学(まなぶ)」君 のような名称と実態の間にズレが生じている例は随分と身の回りにある。

     

     

     

    因習に縛られている学校を覗いてみよう。緑色の板を指差し「黒板を見なさい!」と先生が言う。

     

    一人の生徒が、筆の入っていない「筆箱」からシャーペンを取り出し、国語の試験に出るらしい言葉をノートに写す。例えば、

     

     

     

     

    「早起きは三文の徳」。ふと彼は思う。「三文っていくらだ?」さらに、「隣の芝生は青い」。青い芝生とは何と珍しい!

     

    授業が終わると下駄の入っていない「下駄箱」から靴を引っ張り出し家路に急ぐのであった。

     

     

     

     

    すると悪友の一人が声をかけてくる。「おい、本物の縄で縄跳びしようぜ!」「嫌だね、縄跳びはビニールのやつに限るよ!」

     

    「おい待て、信号まだ青になってないぞお!」

     

     

     

     

    青って何色?

     

     

     

    私たちは人や物や事象に名称を与え、それを理解したつもりになる。

     

     

     

     

    一つ一つの英単語の日本語訳を英単語帳の表と裏で、ただ覚えて、いつの日か英語が読めるようになると思っている人が今だに存在する。残念ですが、なりません、なぜならそれは名称を記憶しているだけだからです。

     

     

     

     

    別の視点に立つと、私たちは名称によって本質をくくりたがる。しかしながら、言葉自体がその本質を表すのは、ほんの3割ほどでしょう。

     

     

     

     

    「氷山の一角」という言葉があります。海上に現れている氷の部分は全体の7分の1程度だそうです。私たちは現れた表面からその下にある本質を察しなけれならないのです。

     

     

     

     

    子供が成長するにつれ、着ている服が小さくなってくるように、本質が名称の枠をはみ出して来る場合もあるように思えます。

     

     

     

     

     

     

    次は、超難問です。禅問答みたいですね。

     

    エラノス学会で、仏教学者の鈴木大拙はティースプーンを手に取ると、隣の人にこう話しかけたそうである。

     

    鈴木大拙:これは何ですか?

     

    となりの人:スプーンです。

     

    鈴木大拙:違います。これはスプーンと言われているものです。

     

    となりの人:… (きょとーん)