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    シュリーマンと語学習得法

    2013.09.17

    「いろいろ手を尽くしてはみたものの、ロシア語の教師を見つけることはできそうになかった」と、のちにトロイアを発掘することになる当時20代前半のシュリーマンは語る。「そこで、私は一人のユダヤ人を雇うことにした。週4フランで、毎晩2時間、私のところに来させて、私のロシア語の朗読を聞かせることにしたのだ。ただ、そのユダヤ人は一言もロシア語が分からなかったがね」時は1844年アムステルダムでのことであった。

     

     

    その言語を全く解さない人を前に音読を実施するとは!どういうことであろうか?

     

     

    実際に楽器の演奏をする人なら、このことは分かるような気がするかもしれない。耳を傾けてくれる人がいる環境と、周囲に人がいない状況での一人演奏では、演奏者の心の状態が異なる。きっとシュリーマンは、言語を音楽的に捉えていて、音読を楽器の演奏のように感じ、音楽家が何回も同じ曲を練習し最後的には楽譜なしで弾けるようになるように、繰り返し同じ個所を音読し暗誦していったのではないだろうか。相当大きな声での独奏だったらしく、賃貸物件の大家さんから数回叩きだされ引っ越しを余儀なくされたシュリーマン。のちに大富豪となるが、若いころは貧しく、「毛布を手に入れるためにたった一枚の上着を売らなければならないありさまだった」と回想している。朝の5時から夜11時まで働いていた。勉学の時間はほとんど取れずにはいたが、学問への愛情を失ったことはなかった。

     

     

    ハインリッヒ・シュリーマンは、1822年9人兄弟の6番目の子としてドイツに生まれる。子供のころは貧しく教育もしっかり受けたとは言えない状況で成長し、食品会社の使い走りをして何とか食いつないでいた。その後、商売を円滑に行うためには語学が堪能でなければならないことを悟り、語学学習に邁進することになる。同時に『イーリアス』と『オデュッセイア』の研究にも勤しんでいた。内側では、日々の地道な勉学という努力を継続すること。外側では、仕事で大成功を収め巨万の富を築いたこと。啐啄の機はここに至り、シュリーマンは、子供のころからの夢であった伝説の都市トロイア発掘を成し遂げることになる。

     

     

    「あらかじめ3回念入りに通読しておけば、印刷された英語の散文20ページくらいなら一言一句間違えずに教師の前で暗誦して見せることができた」と、記憶力に磨きをかけたシュリーマンは英語の小説2冊(『ウェークフィールドの牧師』ゴールドスミス、『アイヴァンホー』ウォルター・スコット)を暗記した後、その独自の方法でフランス語の小説も2冊覚えてしまった。その後、オランダ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語をどれも同じ方法で6週間以内に習得していく。18か国語を自由に読み書き話したと言われている。「その方法は簡単なものである」とシュリーマンは語る。

     

     

    1)大きな声でたくさん音読すること

    2)ちょっとした翻訳をすること

    3)毎日一回は授業を受けること

    4)興味のある対象について常に作文を書くこと

    5)そしてそれを先生の指導で訂正すること

    6)前の日に直した文章を暗記して、次回の授業で暗誦すること

     

     

    大声でたくさん音読したためなのか、子供のころからの持病であった胸の病はオランダにおいて治ってしまったらしい。シュリーマンについて詳しく知りたい方は、『古代への情熱 ―シュリーマン自伝― 』(岡楠生訳、新潮社)、『シュリーマン ―トロイア発掘者の生涯』(エーミール・ルーとヴィヒ、白水社)などが役立つであろう。

     

     

    トロイア発掘の際にちょっとしたトラブルがあったが、その時シュリーマンを助けたのはなんとオースティン・ヘンリー・レヤード(1817-1894)であった。この人物は『ギルガメシュ叙事詩』関係の発見でも一役買うのであるが、これについてはまた別の機会にみることにしよう。

     

     

    晩年のシュリーマンは古代ギリシャ語で日記を綴ったり手紙を書いたりしている。心は常にホメロスとともにある。息子の名前はアガメムノン。ある時、老シュリーマンが原典で新約聖書を読んでいるところに友人がやってくる。日曜日のお祈りでもしているのかと話しかけてみると、「いや、私の知らない単語や言い回しが、ここのところにたくさん出てくるのでね!」。