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    「リズム」という英単語について

    2017.06.22

    「リズム」という英単語について

     

    「リズム」という英単語を実際に紙に書いてみよう。書こうとするとアレッとなり、いくらもがいても一向に光は見えず暗中模索。正確に綴ることができたとしたら、その人は相当に英単語のスペルに敏感な人であり、日頃からの鍛錬の結実と言っても過言ではなく、学校の英語の先生も英語ネイティヴも普通は書けない場合が多い。

     

    この「リズム」という言葉は元々がギリシャ語のρυθμοςである。このギリシャ文字をローマ文字に変換するとrhythmosとなり、さらに語尾を切断するとrhythmいう英単語ができあがる。

      

    語尾切断については、以前にもautumnというスペルについて考察した。 ラテン語 autumnus()ら語尾-usを切断すると、悪名高い奇異なスペルautumnができあがる。

     

     さて、ギリシャ語のρに由来する単語、つまりrh-で始まる他の英単語を少しだけ見てみよう。rh-に意識を向ければ記憶も困難ではない。

    rhythm リズム

    rhapsody 叙事詩、狂想曲

    rheumatism リューマチ

    rhinoceros サイ

    rhetoric 修辞学

     

     

      

     


    Nostalgiaの語源

    2017.02.27

    Nostalgiaの語源

     

    ミラン・クンデラの小説を読んでいたら次のような文に出会った。

    The Greek word for “return” is nostos. Algos means “suffering”. So, nostalgia is the suffering caused by an
    unappeased yearning to return.

     

    たまたま現在、古典ギリシャ語の授業で読んでいる教材のタイトルがnostos(帰還)であった。これは物語形式の教材(ATHENAZE book2)で、そこに1匹の犬が登場する。その名前が「アルゴス」という音だったような気がして、本文を確認するとArgeであった。ギリシャ文字のラムダとロー(英語のLR)では大違いだ。nostalgiaにはalgosでなければならない。[nost- -algia

     

    ギリシャ語のalgosは、「苦痛、悲しみ」を意味する。一方、argosは、「怠惰な、何もしない」を意味する。このargosの語形成は、[a ergos]である。a-は、否定を表す接頭辞である。-ergosは、ergon(仕事、働くこと)という単語に由来する。

     

    ということで、この物語nostosに現れる犬Argeは、「怠惰な」を匂わせる名称であって、algos(苦痛)とは何の関係もない。


    このalgos(苦痛)をnostos(帰還)と関係させ、nostalgiaという英単語(医学用語)を作った(1688年)のは、スイスのJ.Hoferという人らしい。

     

      

     


    英語の接頭辞anteとantiについて No.1  

    2016.11.28

    英語の接頭辞anteantiについて No.1

     

     

    おそらく根本の語源は同じものから派生はしているが、ラテン語とギリシャ語での使用を通して意味の相違が生まれたペアにante(前に)anti(敵対して)がある。

     
    ラテン語接頭辞ante(前に)

    ギリシャ語接頭辞anti(敵対して)

     

     

    それぞれの接頭辞の反対概念は以下のようになる。

    ante(前に) post(後に)

    anti(反対して) pro(賛成して)

     

    対立が感じ取れる卑近な例を見てみよう。

    ) ante
    meridiem(AM
    、午前)post meridiem(PM、午後)

    ) anti-abortion(中絶反対)pro-abortion(中絶容認)

     

       anteantiを考える。

    自分のante(前に)人が立てばanti(敵対)心が生まれるであろうから、この2つを同じものとして説明しても問題はないだろうが、今回は敢えてラテン語とギリシャ語に立ち返りその意味の違いを見ていこう。なぜならば、英単語のante-/anti-はラテン語かギリシャ語のどちらか一方にその源があるからである。

     

    それでは先ず、anteantiの説明において予想されるよくある混乱を具体例に即して検証しながら眺めてみよう。

      

      anteantiにおける予想される混乱

     

    具体例1)

    anticipate(予期する)

    英語のanticipateの語源分析で予想される混乱を考えてみよう。

     

     

    anticipate(予期する)という単語には「前もって」の意味合いが感じられるにも関わらず、綴りはanti(敵対して)になっている。これはどうしたことか?

      

    英語のanticipateは、ラテン語の段階ではanticipo(先取りする)であった。これが厄介である。この単語の形成は、「ante(前もって)capio(取る)」である。このように「接頭辞+動詞」で複合動詞を作る場合には、しばしば音韻変化が生じる。この場合にはラテン語の段階でそれが起こっている。

    接頭辞+動詞=複合動詞

    ante(前もって)capio(とらえる)=anticipo*ラテン語

     

    以上のように、anticipoという単語のantiのスペルは、元はante(前もって)であり、「敵対」の意味のantiではないことが分かる。したがって、英語のanticipateにも同じことが言える。

     

    具体例2)

    antecho(敵対する)*ギリシャ語

    antechoというギリシャ語を考察してみよう。この単語にはante(前もって)という接頭辞が入っているように見えるが、なぜか?

     

    ギリシャ語にも複合動詞形成の際に音韻変化が起こる。この単語は、接頭辞anti(敵対して)echo(持つ)で形成されている。複合動詞形成の際に前方のiが落ち、結果としてantiのスペルに見えてしまう。

     

    接頭辞+動詞=複合動詞

    anti(反対して) echo(持つ)antecho*ギリシャ語

     

    具体例3)

    antique(古風な)

    antiqueという英単語は、意味合いに「時間的な前」が感じ取れるが、スペルはanti(敵対して)に見えるが、理由は?

     

    この場合もラテン語の段階でantiquus(古い)という単語があり、このantiは元はanteからの派生という経緯がある。

     

    具体例4)

    antagonist(敵対者)

    このantagonistという英単語内には、anteantiも発見できない。とりあえずantという部分が確認できるだけであるが、どうなっているのだろうか?

     

    このantagonistの語源に当たるのはギリシャ語のantagonizomai(闘争する)で、分析は以下のようになる。

      

    antagonizomai*ギリシャ語=

    anti(反対して)agon(闘争)izo(動詞語尾)mai(人称語尾)

     

    前半部分のantiagon(母音始まりの語根)を接続する際にantiiが落ちantagonとなった。英語のantagonistは、このantagonという部分を語根に見立てて使用して、人を表すistを繋げている。

     

    antagonistantagon(対して闘争する)ist()

     

    antagonに英語の動詞語尾にizeを繋げるとantagonize(人を敵に回す)ができる。またantagonからantを外しagonを抽出して名詞語尾のyを付けるとagony(苦悶)ができる。

     

    元はantiであるこのantタイプに分類されるものにantarctic(南極の)という単語がある。これを一つ覚えておくと理解が深まる。反対語はもちろんarctic(北極の)であり、こちらが基準である。

     

    具体例5)ancestor(祖先)

    ここでは、anteantiantも発見することはできない。ただanだけが見つかる。このanは、anteantiに関係があるのだろうか?

     

    この単語の語源に当たるラテン語はantecessor(前任者)であり、分析は以下のようになる。

     

    antecessor*ラテン語=

    ante(前に)cess(行く)or()

     

    前方のteが消滅してしまった形が英単語のancestorとなる。したがって、この単語のanante(前に)であることが分かる。

     

    以上のようにスペルは見た目だけでは分かりにくいということが言える。

    次回、anteantiそれぞれを使った英単語を整理していこう。

     

     

     

     

      

     


    知っている英単語から語彙力を増強させるには?

    2016.08.31

    たとえばsunという英単語は誰でも知っているが、その形容詞は何かと問われるとそんなの知らないとなり、sunnyだと言えば、なんだそれなら知ってるよ、となることが頻繁にある。

     

     

    記憶のメカニズムは複雑だが、なにもsunsunnyを別々に頭の中に保存しておく必要はない。

    cloudcloudyrainrainyなら、その形態から名詞の語尾に-yを付けると形容詞ができそうなことが想像できる。ところが、sunsunnyでは、nが連続しているためこれに気付けない人が多い。名詞の語尾に-yを付加すると形容詞ができるかもと覚えておこう。

     

     

    famousは、誰でも知っているがfameは知らない人が多い。dangerous なら知っているがdangerは分かりませんと言っているのに等しい。

    名詞の語尾に-ousを付けると形容詞ができるかもしれないと記憶しておこう。さらにfame(名声)からdefamation(名誉毀損)も覚えることができる(最終項目参照)

     

     

    serveservantの関係がstudystudentの関係に似ていることは気付いているだろうか?別々に記憶してはいないだろうか?

    -ant-entの語尾は、ラテン語の現在分詞を起源にしており、現在分詞は形容詞であり、形容詞は名詞になる場合がある、という一連の文法規則を導くことができる。studentの根本的な意味は「熱心に努力する者」である。

     

     

    推理力?

    次の英単語の中には、簡単な英単語が潜んでいる。それを探してみよう。

    1 deforestation

    2 deodorant

    3 defamation

    4 decaffeinated

    5 depersonalize

     

    それぞれ、forest(森林)、odor(臭い)fame(名声)caffein(カフェイン)、person(人)という単語が入っている。問題の英単語の意味は、それぞれ「森林伐採」、「消臭」、「名誉棄損」、「カフェイン抜きの」、「個性を奪い去る」。

     

    deforestation(森林伐採)という単語が難しいと思っている人が多い。この長い単語の中にforestが入っていることを認識できれば、記憶につながる。
    deforestationdeodorantdefamation
    decaffeinateddepersonalizeこれらすべてに共通している語頭のde-は、「除去」の意味を担っていることが、それぞれの単語の「意味」から推測できる。それが理解できれば、さらにdefrost(解凍する)decontamination(除染)なども、すんなり記憶できる。

     

     

    英単語は、我武者らに覚えるのではなく、ゆっくりしっかり記憶した方が確実に定着する。

     

      

     


    書く行為と心の静まり

    2016.06.16

    書く行為と心の静まり


     先日、文字美術家の遠山由美さんと雑談中に、「書く行為による自浄作用」という言葉がひょっこり現れ出てきた。遠山さんは、代官山ヒルサイドライブラリーでドゥブサル写本室を主宰、また講師として大学の教養課程などで書く行為の実践を呼びかける活動もおこなっている。

     

     

    「書く行為による自浄作用」とは一体何であるのか?今回は、古代インド世界にその答えの一部を探しに行ってみよう。

     

     

    以下、上村勝彦『バガヴァッド・ギーダーの世界』から一部引用あり。

     

     

    最高神クリシュナはアルジュナに語る。

    「すべての感覚を制御して、専心し、私に専念して座すべきである。感覚を制御した人の智慧は確立するから。」

     

     

    上村勝彦によれば、「専心し」は、サンスクリット語の「ユクタ」で「結びつけられた」の意味。「ヨーガ」の語源と同じ「ユジュ」からの派生。

     

     

    愛憎を離れ、自己の感覚器官および思考器官を制御すれば、その人は平安に達する、ということらしい。

     

     

    書道や茶道、また空手道や剣道などの日本古来の「〜道」には型があり、その道の習得にはその型の模倣を行う。感覚および思考器官の制御を行い、心を行為そのものに結びつけ、専心する。このような行為が心の静まり、自浄作用と関係するのだろうか。

     

     

    バガヴァット・ギーダーには、続いて次のような言葉がある。

    「万物の夜において、自己を制する聖者は目覚める。万物が目覚める時、それは見つつある聖者の夜である。」

     

     

    謎のような言葉。私たち凡人は、感覚器官によって物事を知覚し思考する。しかし全ての感覚器官を遮断することで、真の意味で目が見えるようになる。一方、感覚器官を通じて物事を知覚した場合には目が見えなくなる、それは夜であるという意味であろうか?

     

     

    古代インド世界には、21世紀の私たちを惹きつける何かがいまだ眠っている。そこに古さは微塵も感じない。人類の進歩はテクノロジーの進歩に過ぎず、人間性の進歩というものはないように思える。

     

     

    「人間性に進歩はない」と表現するといかにもネガティヴに見えるが、紀元前に書かれた詩や物語などを21世紀の私たちが今読んでも面白く感動できるということ事態が素晴らしいことであり、歴史を通して全体としての人間性は、ほぼ一定であることを示している。

     

     

    書く行為には大きく分けて二種類ある。筆写と創造的行為である。

     

     

    筆写は、自分の妄念を消し去り、感覚器官を遮断してひたすら書く行為に専念する。このことによって心の静まり、ある種の自浄作用が生まれる。

     

     

    創造的行為は、自分の考えや思いを言葉という入れ物に入れて表現する行為である。このことにより、つかめぬ雲のような自分の思いに一定の道筋を与え、目に見える思考過程が紋様のように生まれる。これにより心の静まりが生まれる。

     

     

    何れにせよ、書く行為と私たちの心の関係をもう少し探ってみても面白いかもしれない。